|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 小川 : [おがわ] 【名詞】 1. streamlet 2. brook ・ 川 : [かわ] 【名詞】 1. river 2. stream ・ 博 : [ばく, ひろ] 1. (n,n-suf,vs) doctor 2. Ph.D. 3. exposition 4. fair 5. exhibition 6. commanding esteem 7. winning acclaim 8. gaining 9. receiving 10. command esteem 1 1. win acclaim 12. gain 13. receive ・ 内 : [うち] 【名詞】 1. inside ・ 内野 : [ないや] 【名詞】 1. (baseball) infield 2. diamond ・ 内野手 : [ないやしゅ] 【名詞】 1. infielder 2. baseman ・ 野 : [の] 【名詞】 1. field ・ 野手 : [やしゅ] 【名詞】 1. a fielder ・ 手 : [て] 【名詞】 1. hand
小川 博(おがわ ひろし、1940年1月25日 - )は、神奈川県出身の元プロ野球選手(内野手)。 == 来歴・人物 == 法政大学第二高校(現・法政大学第二中・高等学校)在学中は1957年夏の甲子園に出場し、チームの準優勝に貢献した。高校時代は4番打者だった〔法政二高野球部の歴史【神奈川高校野球資料館特別資料室17】 〕。当時のチームメイトには河東真(のち巨人。高校時代は5番打者だった〔。)がいる。法政大学に進学後も、東京六大学野球で活躍。(大学3年時)には、全日本大学野球選手権大会での優勝に貢献した。翌(大学4年時)秋季リーグでは36打数15安打 打率.417で首位打者とベストナイン(二塁手)のタイトルを獲得した〔首位打者 - 東京六大学野球連盟 〕〔法政大学野球部年表 法政大学野球部公式サイト〕〔リーグ戦記録集 法政大学野球部公式サイト〕。大学時代のチームメイトに新山彰忠、樋口正蔵(共にのち南海),室山皓之助(のち阪神)がいる。 に阪急ブレーブスに入団。しかし、小川自身はシャープな打撃が売りだったものの、実は体力がなく(そのため、長打力は全く無かったと伝わっている)、ノンプロでやった方が良いのではという指摘を受けていた。それでも、小川はプロ野球の世界でやっていきたいと阪急入団を決意したのだった。だが周囲の不安は的中し、当時の阪急の二塁手にはロベルト・バルボンやダリル・スペンサーという大型野手がいた事もあって、プロでは殆ど出場機会を得る事が出来なかった。限りで現役を引退した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「小川博 (内野手)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|